遊び雲

西宮市の障害者支援のNPO法人「遊び雲」は居宅介護、家事援助、身体介護、外出支援などを通して、障害者がイキイキと暮らせる社会をめざして活動しています。

遊び雲代表 福永年久 活動のあゆみ

遊び雲代表 福永年久 わが人生自立への道

1952年

徳島県鳴門市に生まれる。
生後7か月で発熱が続き、後に脳性まひと判明。

1957年

兵庫県神戸市に移住。

1958年

小学校入学年に普通学校、養護学校に申し込みをするが、拒否される。

1963年

神戸市元町に引っ越し。
友人関係が途切れ、孤独な日々を過ごす。

1966年

母の訴えにより訪問教師制度が認められ、普通学校から週に一度教師が訪問にくるようになる。

1967年

訪問制度が終了。母親の依頼でボランティアの教師が訪問に週一回来る。

1968年

スズキ自動車が日本初の電動車いすを販売(当時三十万)。購入して外に遊びに出かけるようになる。

1971年

母の勧めで長田若草の会(在宅障害者の親睦会)に週一度でかける。多くの障害者と出会い、知り合いになる。

1974年

映画「さよならCP」をきっかけに青い芝の会の存在を知り、賛同して会員になる。
夜間中学に入る闘争を行う。2年後認められ入学する。

1976年

母親が他界。入学後2週間で学校の教育方針に不満を持ち、自主退学をする。
退学後青い芝の会の活動に専念する。父との確執がきっかけで家出をする。
1人で神奈川県青い芝の会事務所へ研修に行く。
三週間後姫路に行き、自立生活を始める。

1977年

三ツ矢英子さんと同棲生活が始める。
全障連の幹事になる。

1978年

全国青い芝の常任委員会に入る。
全国の障害者運動を行う(79~赤堀闘争、川崎バス闘争、養護学校義務教育化闘争に参加)。

1979年

全障連を意見の相違でやめる。全国自立協議会に入り、全国に自立センターを作る運動を行う。このとき、ピアカウンセリング方式が考えられる。

1981年

国際障害者年に厚生労働省の障害者研究会の委員に任命され二年間活動する。

1982年

全国活動を休止して兵庫県下の障害者運動を行う拠点のために西宮市に移り住む。井上県議会議員の差別の発言糾弾闘争。
姫路の在宅障害者のためにひびき作業所を設立。
父親が他界。

1983年

長田郵便局長の差別発言の糾弾闘争。

1986年

神戸市バス闘争。
コープの公報漫画の差別糾弾闘争。

1988年

きんとーん作業所設立

西宮の青い芝の会の運動拠点として阪神障害者解放センターを設立。

1990年

神戸の在宅障害者のため六甲デイケアを設立。

1992年

自立障害者の介護派遣のためにBeすけっとを設立。

1995年

1月17日
阪神淡路大震災。ベッドに一人就寝中に地震が発生。近隣に住む介護者により救出される。
三日間、解放センターメンバーの安否確認を行う。車いすでも使用可能な避難所を交渉の末借り、その後炊き出し、水運び、訪問などの復興活動を行う。

5月
避難仮設住宅が設置され始める。被災者の引っ越し作業をボランティアとともに行う。
全国40か所の講演活動を5か月間に渡って行う。避難所立ち退きにより、住居に困った人々のためテント「らくだは楽か?」村を作る。

11月
テント村廃止。
住民は仮設住宅などに移住。ボランティア一部解散

12月
西宮北口で事務所を借り、復興活動を行う。

1996年

11月19日、脳梗塞により倒れる。三日間意識不明の重体。その後自宅で寝たきり状態が三年間続き、うつ状態に陥る。

2000年

介護保険制度が開始。介護保険の勉強中うつから立ち直る。長田でNPO法人の介護派遣の事業所(後の「神戸 拓人」)が設立され、代表になる。

2003年

仲間たちとともに写真

支援費制度をきっかけに西宮市で介護派遣事業所NPO法人「遊び雲」を設立。