遊び雲

西宮市の障害者支援のNPO法人「遊び雲」は居宅介護、家事援助、身体介護、外出支援などを通して、障害者がイキイキと暮らせる社会をめざして活動しています。

私たちのあゆみ

「障害者運動の拠点を兵庫県でも!」

1980年代、日本の障害者運動の草分けである日本脳性マヒ者協会「全国青い芝の会」が、
各地で障害者解放センターの建設を活動方針として掲げました。
これに触発され1988年、ここ兵庫県でも、当時兵庫青い芝の会のメンバーだった福永年久(現 「遊び雲」代表)が有志に呼びかけ、西宮に「阪神障害者解放センター」を設立。
阪神間における障害者運動の拠点が生まれました。
さらに同年12月に「自然食品店きんとーん」をオープン。
地域との交流、在宅障害者が働く場づくりを目的としていました。
(「全国青い芝の会」については を参照)

阪神障害者解放センターが活動を本格化

翌年1989年から阪神障害者解放センターの活動として、在宅障害者に外に出ようと自立を促す訪問活動、レクリェーションの開催、介護者確保のために大学でのビラまき、ニュース発行、障害児の地域の学校への就学支援、高校入学支援に向け、阪神間の親の会とのつながりを作っていきます。

そして兵庫青い芝の会が取り組む運動課題を支援し、1990年には兵庫県が行っていた優生手術申請書配布の中止を求める運動の事務局を担いました。
(優生手術については を参照)

1991年からは「みんなでハッピーキャンプ阪神地区」の中心としてキャンプ開催への取り組み。

作業所の拡充と介護派遣事業をスタート

作業所に集まる障害者が増加したため、1992年、作業所も2か所に拡充しました。

この頃、主に大学生が担っていた自立障害者の介護体制が厳しく、一方で全国的に有償介護サービスによる自立生活支援が広がるなか、1994年、阪神障害者解放センターとして「ガイドヘルパー制度」も活用しながら、内部の障害者メンバーを対象に独自の介護派遣事業を開始。

そして1995年、阪神大震災。

運営していた第1、第2作業所はともに全半壊の被害を受けました。

この未曽有の大災害は、災害時における障害者へのサポート、ケアなど新しい課題を浮き彫りにしました。
福永代表が神戸、西宮で障害者救援活動に奔走。
(福永代表はこれによる過労もあり、脳梗塞で倒れてしまいます。)

1997年、西宮市から土地を借り、多くの皆さんの支援を受け、第1作業所を再建。
第2作業所は「喫茶ギャラリー遊び雲」としてリニューアルしました。

支援費制度を背景にヘルパー派遣事業を拡大

2003年から始まる支援費制度に対して法人格を取得しヘルパー派遣事業を実施するかどうか慎重に検討した結果、1か所の作業所を閉鎖。この場所を拠点にヘルパー派遣事業を実施するため、2002年NPO法人格を取得し「NPO法人障害者生活支援センター遊び雲」が発足しました。
西宮の自立障害者を中心に、つながりのある阪神間の親の会の知的障害者のガイドヘルプなど派遣事業が拡大していきます。

さらなる障害者からの発信と運営体制の変革

福永代表の発案により、障害者自立生活運動の歴史を継承する目的で、2007年DVD映画『こんちくしょう』を製作販売、全国各地約40か所で上映会が開催されました。

阪神間の親の会と連携し、月一度の「デイバイデイ企画」として一泊研修会、毎月一度の外出企画(現在は形を変え継続)に取り組みました。

一方で継続運営していた作業所は、阪神障害者解放センターによる運営のままでした。
この2重組織状況のため乖離傾向が発じていたこともあり、2010年、作業所の運営主体も「NPO法人障害者生活支援センター遊び雲」に。

障害者自立支援法の施行により小規模作業所を廃止し法内事業への移行が求められたため、2012年、小規模作業所から「地域活動支援センター」に移行しました。