徳島県鳴門市に生まれる。
生後7か月で発熱が続き、後に脳性まひと判明。
遊び雲代表 福永年久 活動のあゆみ
兵庫県神戸市に移住。
小学校入学年に普通学校、養護学校に申し込みをするが、拒否される。
母の訴えにより訪問教師制度が認められ、
普通学校から週に一度教師が訪問にくるようになる。
訪問制度が終了。母親の依頼でボランティアの教師が訪問に週一回来る。
スズキ自動車が日本初の電動車いすを販売(当時三十万)。購入して外に遊びに出かけるようになる。
母の勧めで長田若草の会(在宅障害者の親睦会)に週一度でかける。多くの障害者と出会い、知り合いになる。
映画「さよならCP」をきっかけに青い芝の会の存在を知り、賛同して会員になる。
夜間中学に入る闘争を行う。2年後認められ入学する。
母親が他界。入学後2週間で学校の教育方針に不満を持ち、自主退学をする。
退学後青い芝の会の活動に専念する。父との確執がきっかけで家出をする。
1人で神奈川県青い芝の会事務所へ研修に行く。
三週間後姫路に行き、自立生活を始める。
三ツ矢英子さんと同棲生活が始める。
全障連の幹事になる。
全国青い芝の常任委員会に入る。
全国の障害者運動を行う(79~赤堀闘争、川崎バス闘争、養護学校義務教育化闘争に参加)。
全障連を意見の相違でやめる。全国自立協議会に入り、全国に自立センターを作る運動を行う。このとき、ピアカウンセリング方式が考えられる。
国際障害者年に厚生労働省の障害者研究会の委員に任命され二年間活動する。
全国活動を休止して兵庫県下の障害者運動を行う拠点のために西宮市に移り住む。井上県議会議員の差別の発言糾弾闘争。
姫路の在宅障害者のためにひびき作業所を設立。
父親が他界。
長田郵便局長の差別発言の糾弾闘争。
神戸市バス闘争。
コープの公報漫画の差別糾弾闘争。
神戸の在宅障害者のため六甲デイケアを設立。
自立障害者の介護派遣のためにBeすけっとを設立。
11月19日
脳梗塞により倒れる。三日間意識不明の重体。その後自宅で寝たきり状態が三年間続き、うつ状態に陥る。
介護保険制度が開始。介護保険の勉強中うつから立ち直る。長田でNPO法人の介護派遣の事業所(後の「神戸 拓人」)が設立され、代表になる。